新潟の心霊スポット「熊沢トンネル」で遭遇した20人以上の男たち
小学生のころ、私は虫が好きで、夏休みとなれば虫捕りのために近所の野山を駆け回っていました。
私が暮らす新潟市秋葉区(当時は新津市)の郊外は丘陵地帯が広がっており、虫捕りに事欠かない環境だったのです。
東京から引っ越してきた私にとっては夢のような環境で、友人がいない日でも虫捕りに明け暮れていました。
ラジオ体操の終わったお盆の少し前、ある曇り空の午後、私は自転車で遠出して、一人で秋葉山に虫捕りに行きました。
友人がそこで大きなクワガタを捕まえたと話していたのを思い出したからです。
私は彼に聞いた通り、入り口付近の広場やアスレチック公園などを通り過ぎ、山奥に向かいました。
山と言っても標高100メートルにも満たない丘で遊歩道も整備されており、小学生でも特に危険がないところですし、何度か小学校の校外実習でも来ていたので心配はしていませんでした。
友人は、「公園の奥にある展望広場のクリの木でクワガタを捕まえた」と話していたのですが、どれだけ進んでもなかなかそこにはたどり着けません。
公園には無数の遊歩道があり、私は「道を間違えたのかな」と思いました。
しかし、せっかくだから奥まで行ってみようと思ったのです。
下り道を選んでいけば必ず公園に帰れますし、標識もあります。
歩いた距離もさほどではありませんでした。
もしかしたら、この先にもっとすごい虫捕りスポットがあるかもしれない、そんな気持ちでした。
午後三時を回ったころでしょうか。
空は暗くなり、ぽつぽつと雨が降ってきました。
周囲は下草が刈られた杉林で、杉特有の青々した匂いが雨によって一層強くなりました。
傘など持っていなかった私は困惑しました。
引き返そうか、とも思いましたが、まだ小降りです。
迷いながらも歩いていくと、視界の先に小さなトンネルが見えました。
初めて来たところでした。
子ども心に、「こんなところにトンネルがあったのか」と少し胸が高鳴ったことを覚えています。
雨はだんだん強くなってきます。
私は、トンネルの中に入ろうと思いました。雨宿りくらいはできそうだったのです。
トンネルは短く、向こう側に出口がはっきりと見えます。
照明こそありませんが、外の光がかすかに射し込み、暗闇ではありませんでした。
普通のトンネルでしたが、内壁のコンクリートがなく一部は濡れた岩肌が露出していました。
その時です。
トンネルの向こうからだれかが歩いてくるのが見えました。
それもたくさんの人たちです。
やってきたのは、ほぼ裸で腰布を巻いた男たちでした。
みんな大人にしては小柄で、ですが筋肉隆々で厳しい顔をしていました。
顔は真っ黒に汚れていて、ずっとお風呂に入っていないような雰囲気でした。
狭いトンネルの中で、私は思わず端に寄って彼らに道を譲りました。
知らない大人です。
怒られたらどうしよう、と思いました。
しかし、彼らは私に気を留めることなく、無表情のまま私が入ってきた出口の方に歩いていきます。
20人以上いたと思います。
みんな違う人ですが、雰囲気は似ています。
明らかに現代の一般人ではなく、髪もぼさぼさで髭も伸びていて、いわゆるホームレスのような印象でした。
彼らは静かで、一言も発しませんでした。
私は、不気味な彼らが早く立ち去ってくれることを祈りつつ、その奇妙な行列を眺めていました。
やがて、その列の中に一人の男を見つけて絶句しました。
顔が半分はじけて、頭蓋骨が露出しているのです。
それだけではありません。
よく見れば、首や腕があらぬ方向に曲がった男もいます。
私は、彼らが見てはいけないたぐいのものだと知りました。
それからどうやって家に帰ったのかは覚えていません。
両親は、私が見たものを信じてはくれませんでした。
友人の中には信じてくれる子もいましたが、そうでない子も多く、私は彼らに嘘つき呼ばわりされるのが嫌で、話すのを止めました。
あのトンネルこそ、新潟県内でも有名な心霊スポットと言われる「熊沢トンネル」だと知ったのは、それから10年以上後のことです。
あのころは、地元ではそんな風に言われていた記憶はありません。
あるいは、私が東京から引っ越してきて間もないころなので、知らなかっただけなのかもしれません。
しかし、あの異様な男たちの行列は今でも忘れられませんし、熊沢トンネルがメディアで取り上げられるたびに、「あれもそうだったのかな」と思い出してしまいます。