肝試しで戻ってこなかった男の子が……
2019/09/01
私の地元では小学生は、学校に登校するのに何人かで班をつって学校へ登校することになっています。
六年生になると班長として一番先頭へ、五年生は副班長として一番後ろに、その間に中間の学年が挟まれる形で並びながら登校していました。
そして、これは私が小学六年生の班長当番になった時、実際に体験したことです。
並んで学校に登校するというのは、他の地域でもよくあることかと思いますが、私の地元では六年生の班長当番になると、一年に一回班の皆を招いてパーティーのようなものを開かなければならない、というのが暗黙のルールが存在しました。
その季節にぴったりだったのが夏です。
私は七夕と合わせて短冊を作り、自宅でバーベキューを開いて班の皆を招待することにしました。
私の班は全部で五人でした。
勿論当時は、未成年ですので付き添いのため一緒に両親も招待してありました。
私の家の敷地内は砂利石で埋め尽くされていて、バーベキュー用の炭をおける場所がありませんでした。
そのため奥にある駐車場の場所を使うことにしました。
そこは下がコンクリートになっていて、屋根もついているような場所でした。そこから真正面に古い小屋がみえました。
パーティーは大体夕方五時くらいから始まったと思います。
歴代も班長さん達が私たちを楽しく盛り上げてくれたように、私も自分なりに皆に楽しんでもらえるように考えていました。
初めは鉄板で肉を焼いて、そのあと焼きそばを作ってたくさん食べました。
食べ終わると短冊に願い事を書いて笹に飾ろうということになりました。
この時使用した笹は「竹がある」という家庭で本物の竹をわざわざ切って持ってきてくれたものでした。
願い事を書いた短冊を飾り終わり皆で一休みしていると、誰がが「肝試しをしよう」と言いだしました。
肝試しの話には皆賛成で誰も反対する人はいませんでした。勿論親同士も、のりのりで誰も止める人はいませんでした。
時間はすでに二十一時過ぎ、肝試しをするには十分にいい時間でした。
思い付きで言い出したことなので、ルールというルールも特になく、ただ近くにある公園を灯りを何も持たずに一周して帰ってくる、というものでした。
近くと言っても田舎ではこの時間帯はやはり暗く、小学生の私にとって一人と言うのが怖さを増長させました。
肝試しに参加するのは子供達だけで、子供だけで順番決めのじゃんけんをしたのです。
その結果、私の順番は三番目。
一番目の子は小学三年生の男の子、怖がりながらもスタートして無事に戻ってきました。
二番目は小学五年生の女の子、なかなかスタートできず渋りながらも、がんばってゴールしました。
そして、私がスタートする番になりました。
街灯がほとんど見当たらないため気味が悪く、公園の周りを回ったところで薄気味悪さを感じてしまい、走るように皆の所へ戻りました。
ああ、無事戻れた、そう思って安心していました。
ところが、私の次にスタートした小学五年生の男の子がいつまでたっても戻ってきません。
十五分過ぎたくらいまでは、まだ遅れているんだろう、と考えていたのですが、さすがに三十分も過ぎると戻らないのはおかしいとみんなで騒ぎはじめました。
公園までの道、公園の周り、公園からの帰り道と探し回ったのですが、見つけることができません。
いよいよどうする、警察に連絡して捜してもらおうかという話が出た時、小学生の男の子と女の子の二人が騒ぎはじめたのです。
この大事な時にと、思ったのですが騒いでいる方に行ってみました。
そこは私の家にある古い小屋で、畑に使う道具などを入れる物置のようになっています。
そこをのぞいて見ると、騒いでいる二人の隣に眠るように横たわった小学五年生の男の子がいたのです。
なぜそこにいるのかがわかりませんでした。
私たちは確かに肝試しをしに公園へ向かう男の子の姿を見送ったのです。
家の敷地内にはかならず誰かいました。
見つからずあの小屋の中に入ることは絶対に不可能でした。
目を覚ました本人に訪ねてみると、公園に向かった所までは覚えているのだ、というのです。
小屋の中で遊んでいた二人もなぜ小屋で遊んでいたのか覚えていないというし、この子達の身に一体なにがあったのかわかりませんが、この一件から年に一度のパーティーのルールはなくなりました。
今ではランドセルを背負った小学年生を見るたび思い出します。
家にあったあの小屋はしばらくして、取り壊し今は家庭菜園になっています。
三十という年齢になった今でも忘れられない体験でした。