デジャヴ(既視感)に気付かなければ……?
2018/12/02
デジャヴ(既視感)という言葉を、皆さんも聞いたことがあるかと思います。
例えば、初めて訪れたはずの土地なのに、そこをいつかどこかで見たことのある風景だと感じてしまうことや、前に一度も会ったことのない初対面の人との酒の席での会話に、過去に同じ事があったような…? という感覚を抱いてしまう、などなど……
このようなデジャヴという不思議な事が起こることは、人の脳の働きがまだまだ未知数な部分が多いということを表しており、ミステリアスであると同時にロマンチックな魅力すら人々に与えることもしばしばでしょう。
前置きはここまでとしまして、今回は私のデジャヴが起こった時の感覚を綴っていきましょう。
簡単に言いますと、私のデジャヴは「虫の知らせ」に似たような意味合いを持っています。
どういうことか。
つまりデジャヴが起こったことにより、その次にいつも一定の出来事が起こる、という訳で、デジャヴが予兆としての意味を持っている、ということなんですね。
そして、いつも一定の、と言いましたが、それはいつも暴力や金銭的困窮、親族の死に目に会えない、といった、私にとって大抵なにがしかの不快かつ不安定な心境を呼び起こす出来事のみが起こるのです。
一例を挙げますと、やはりそれはどこかで見慣れた学校でのお昼休み。
いつ、どこで見たのかは全く分からない。
ちょっと不思議だな、と思う程度に留めて、いつも通り午後の授業に臨みますと、ひょんなことから、気が付くと居残りをさせられ、教師に髪を引っ張られた後、顔面を殴打されているという……
また、知り合って数日の友達と二人話をしながら歩いていると、何故だかここでも、前にもこんなことがあったような…? という既視感。
しかし、まあ気のせいか、と思っていた矢先、翌日入院していた祖母の容態が悪化し、急いで駆けつけたものの、死に目に会うことは叶わず……といったことも。
まあ、これだけを紹介すると、単なる偶然と捉えられてしまっても仕方がないと思いますが、デジャヴが虫の知らせ……と意識しだしたのは、実はここからです。
私の中でこの二つの出来事はとても印象的だったので、以後デジャヴに遭遇した時は、「あ、このあと多分悪い事か起きる…」と、不吉な出来事に対する心構えをするようにしたのです。
すると、何故か、その意識付けをした場合に限り、デジャヴの後に何事も起こらず平穏に時が過ぎて行くのです。
つまり、「既視感に気が付き、それが、後に起こる不吉な出来事の兆候、と意識することで、不吉な出来事を回避することができる」。
私がデジャヴを虫の知らせと表現するのは、まとめるとこのような意味合いになるのです。
とても奇妙な事を言っていると思います。
しかし、一番恐ろしい……というか、心をが苛まれてしまうのは、その不可思議な動作機序ではなく、不吉な出来事を「意識して回避できる」ことを知ったことで、デジャヴを「回避のために意識してしまう」ことでしょう。
しつこいようですが、デジャヴは既視感、既に一度見たような光景です。
そして、人の脳は、一度も見たり感じたりしたことには、まだ一度も触れていない事柄と比べると「親近感」を覚えるような造りになっています。
親近感は、心のどこかに懐古の情を湧き起こし、人を優しくさせるものですね。
しかし、私にとってその暖かな心持ちは、長く浸ってはいられず、それどころか意識して早々に切り捨ててしまわないと、後に痛い目を見る、という訳です。
不思議な既視感により、心に突如沸き上がった親近感。それをかなぐり捨ててまで、これから起こる不愉快から逃げるへきなのだろうか?私は心の保守を求めるがあまり、人間の脳の神秘に浸る、貴重な幾瞬間を、何度もないがしろにしてきたのではないか?
最近ではそう思います。